負けて終わった戦争が残した、何もかも焼き払われた土地で、人々は生まれたての悲しみを、失った家族のつもりで、本当の家族であれば痛くて逃げてしまいたくなりそうなほど力いっぱい抱きしめた。食糧不足で減った腹を不幸で満たしていたのだ。この間まで敵だった国の宣教師に、あなたはどうしてそんなに苦しそうな顔をしているのですか、と問われれば、戦争で家族を亡くしたのです、と答えればよかった。もし、あなたたちに家族を殺されたのです、と答えてしまえば悲しみはたちまち孵化して怒りが生まれただろう。怒りは腹持ちがしない。だから人々はいつまでも悲しんで暮らしていた。悲しみの他に焼けなかったのは、川と海と古い図書館だけだった。やけなかったということは水があるってことかもしれない。だったら食べ物も、と思い込んだ悲しみの味を知らない人たちが図書館に集まってきたが、あるのは言葉ばかりなのでがっかりした。
あのころ、私は家の中の観葉植物をぜんぶ枯らしてしまった。本を書き上げてから、私はそのことに気がづいた。張り出した窓に置かれていた鉢入りの植物は、真っ黒になって完全に死んでいた。私は単にそれらを死なせただけでなく、まったく動かさなかったのだ。あの期間、私は町から田舎の家に移った友人たちに、遊びにこないでくれと断っていた。
「あなたは結婚なさっているようですな」と、あろ男が私に言った。ニューヨークで私の本の出版社が開いてくれたフォーマルな昼食会の席上でのことだった。
「本を書く時間など、どこにあるんですかな」
はあ?
「だって、そうでしょう」とその男は言った。「例えば、庭の世話があるでしょう。ご主人のお客ももてなさなければならないだろうし」
私はこの七十がらみの男性を馬鹿だと思った。私が何をしなければならないかなど、彼に指図を受けるおぼえはない。私はいま、二十代の頃の自分の没頭癖を思うとぞっとする。だがいま思えば、あのころすでに私は、いつかきっとそんな自分にぞっとするだろうなと思っていたふしがある。
Author:papyrus
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