当事者(性)不在のレズビアン映画
公開初日(12月9日)の『LOVE MY LIFE』を鑑賞。監督・出演者陣の舞台挨拶あり。
父親役の石田衣良が「ゲイです」と自己紹介したとき、客席から笑いが漏れた。どういう笑いだったんだろう。わたしは笑えなかったし、笑いが起こったことにも引っかかりを感じたし、石田衣良がそうコメントしたのは役のうえでのことであって、本当はゲイではないから軽い挨拶程度にそう口にすることができてしまうのではないかと思った。この際だからカムアウトしてしまおうという感じはしなかったし、いかにも観客の笑いを誘うような口調だった。セクシュアル・マイノリティを扱った映画に関わっていながら、そのセンシティブな部分に対する配慮は感じられなかった(自分の演技力のなさを反省するコメントばかり。「映画の世界を取材してやろうくらいの気持ちで臨んだ」とも言ったが、自分がゲイ役を演じることの必然性についてはまったく考えなかったようだ)。彼のコメントを受けて笑った観客たちもセクシュアル・マイノリティ当事者ではないのだろうと感じざるをえなかった。
ステレオタイプな若者像を描くこの作家は、やはりステレオタイプなヘテロでしかない。「この映画は寛容さをメッセージにしている」というようなことを最後にコメントしたが、己の鈍感さを「寛容さ」と言い換えて自己粉飾しているだけだと思う。
また、監督の挨拶も通り一遍なものでしかなく、なぜこの作品を映画化しようと思ったのか、この映画でなにを主張したかったのか、という動機や目的は話されなかった。司会者(映画評論家)からもそのような質問は向けられなかったし(お前この作品試写で観たんだろう? なんでもっと根本的なコメントを引き出すような質問ができないんだ!)、観客からの質疑応答の時間も設けられていなかった。わたしにとってはひじょうに居心地の悪い舞台挨拶だった。
もともと映画そのものに対して多大な期待は抱いていなかったが、「原作を忠実に描いている」という間接的な前評判を頼りにしていたところがわたしにはあった。しかし、実際の映画は原作に忠実どころの話ではない。誰だこんな前評判を流したのは。
年齢設定は原作どおり、二人の女性は大学生だけれど、原作の彼女たちはもっとシックで落ち着いた部分があったし、性愛に関しても、お互いに対する愛おしさの衝動的な側面や、性愛の快楽をしたたかに追求する姿を表現していた。前向きでパワフルななかにもほのかな毒気があった(実際こんな大学生は日本にいねーよ、と思ってたけど)。が、映画の彼女たちはガーリーでポップで、音楽や衣装に工夫を凝らしたとはいえ、その凝りかたは「キュートで純粋でまっすぐな女の子像」を築く方向に働いていたと思う。原作にくらべてかなり子どもっぽいのだ。意地悪く言えば、「しょせん“女の子同士”の性愛関係はバニラで可愛らしいままごとみたいなもの」と思いたがっている感じだ。
セクシュアル・マイノリティを描いた作品でありながら、出演者にもスタッフにも当事者(性)は不在。はっきりいってこれは、「ヘテロにとって都合のいいセクシュアル・マイノリティ像」を描いた作品である。おい、やまじえびね! お前よくもこの作品の映画化を許可したな。
つか、『NANA』の商業的成功にあやかって2匹目のドジョウ探しの道具にされたのかもね。
父親役の石田衣良が「ゲイです」と自己紹介したとき、客席から笑いが漏れた。どういう笑いだったんだろう。わたしは笑えなかったし、笑いが起こったことにも引っかかりを感じたし、石田衣良がそうコメントしたのは役のうえでのことであって、本当はゲイではないから軽い挨拶程度にそう口にすることができてしまうのではないかと思った。この際だからカムアウトしてしまおうという感じはしなかったし、いかにも観客の笑いを誘うような口調だった。セクシュアル・マイノリティを扱った映画に関わっていながら、そのセンシティブな部分に対する配慮は感じられなかった(自分の演技力のなさを反省するコメントばかり。「映画の世界を取材してやろうくらいの気持ちで臨んだ」とも言ったが、自分がゲイ役を演じることの必然性についてはまったく考えなかったようだ)。彼のコメントを受けて笑った観客たちもセクシュアル・マイノリティ当事者ではないのだろうと感じざるをえなかった。
ステレオタイプな若者像を描くこの作家は、やはりステレオタイプなヘテロでしかない。「この映画は寛容さをメッセージにしている」というようなことを最後にコメントしたが、己の鈍感さを「寛容さ」と言い換えて自己粉飾しているだけだと思う。
また、監督の挨拶も通り一遍なものでしかなく、なぜこの作品を映画化しようと思ったのか、この映画でなにを主張したかったのか、という動機や目的は話されなかった。司会者(映画評論家)からもそのような質問は向けられなかったし(お前この作品試写で観たんだろう? なんでもっと根本的なコメントを引き出すような質問ができないんだ!)、観客からの質疑応答の時間も設けられていなかった。わたしにとってはひじょうに居心地の悪い舞台挨拶だった。
もともと映画そのものに対して多大な期待は抱いていなかったが、「原作を忠実に描いている」という間接的な前評判を頼りにしていたところがわたしにはあった。しかし、実際の映画は原作に忠実どころの話ではない。誰だこんな前評判を流したのは。
年齢設定は原作どおり、二人の女性は大学生だけれど、原作の彼女たちはもっとシックで落ち着いた部分があったし、性愛に関しても、お互いに対する愛おしさの衝動的な側面や、性愛の快楽をしたたかに追求する姿を表現していた。前向きでパワフルななかにもほのかな毒気があった(実際こんな大学生は日本にいねーよ、と思ってたけど)。が、映画の彼女たちはガーリーでポップで、音楽や衣装に工夫を凝らしたとはいえ、その凝りかたは「キュートで純粋でまっすぐな女の子像」を築く方向に働いていたと思う。原作にくらべてかなり子どもっぽいのだ。意地悪く言えば、「しょせん“女の子同士”の性愛関係はバニラで可愛らしいままごとみたいなもの」と思いたがっている感じだ。
セクシュアル・マイノリティを描いた作品でありながら、出演者にもスタッフにも当事者(性)は不在。はっきりいってこれは、「ヘテロにとって都合のいいセクシュアル・マイノリティ像」を描いた作品である。おい、やまじえびね! お前よくもこの作品の映画化を許可したな。
つか、『NANA』の商業的成功にあやかって2匹目のドジョウ探しの道具にされたのかもね。
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コメント
- >わたしは セクマイですが あの言動には 抵抗ありませんでした。
あの言動とは、石田氏の発言のことかしら。だとしたらゆきこさんは舞台挨拶の回にいらしてた?
- わたしは セクマイですが あの言動には 抵抗ありませんでした。
セクマイで 差別や偏見やイジメにあったけど 決して悪い事をしていないし
後ろめたくもありませんから。
エリーの本と同じ様に 自分が自分らしくいる事が 何よりも強く 自分を護ってくれるのだと思います。
- >偽装結婚
といえばそうなんだけど、お互い子どもがほしいと思ったのは確かみたいよ。
で、父親はフルオープンではないけれど、娘が成人したら話すつもりだったのを、先に娘からカムアウトされた、と。
原作の狙い目は、異性愛者ではない両親から生まれた自分は、果たして本当に愛された存在なのか? みたいなところにあったんだと思う。
>原作マンガは良いのかな?読んでみようかしら。
わたしたちくらいトウの立った年齢になると、ちと物足りない感じがするかも。ティーンズなら背中を押してもらうような勇気が得られるかな。
- 原作マンガは良いのかな?読んでみようかしら。
石田衣良さんって好きじゃないんだよねぇ。コメントしてるのを見たりとかしてると「?」という事が多くて。いかにも、そういう笑いを誘うコメントをしそう。にしても…そういう会場の笑いってほんとむかつくー。
- 原作読んでないし映画も観てない。きのう予告篇を観てチラシ裏のあらすじを読んだだけなんですが。
娘からアウティングされてそれを父親が簡単に受け入れたのはゲイだったから。といった描写があるようですが。そこ、納得できなかった。納得できるように描かれているのかしら。
この父親って、偽装結婚して、それを娘に隠し通すほどのクローゼットなんでしょう? クローゼットなうじうじホモ男とオープンなレズビアン娘との確執を描いたら、とても面白そうな気がした。
- >予告編に出てくるパパの姿は確かに原作のパパと似ていて
いえいえ、本編みたら石田衣良の素人芝居(素人だから当たり前だけど)が鼻についてしかたなかったっすよ!
映画ならではのオリジナルなものは感じられませんでした。原作が「去勢」された感じ。
映画にするほどの内容は感じられませんでしたね。
- うーん、原作マンガは大好きだったから、どんな映画になったのかなあと気になってたんだ。そういう感じなのね、残念。
予告編に出てくるパパの姿は確かに原作のパパと似ていて、でも最近そういう「マンガ原作の雰囲気を壊さない、姿形が似ている役者によるキャスティング」がどんどん増えてあざとさバカリが目につく。
実写をアニメに近づけて行く事が良い事ばかりではないと思う。
日本では無理だったのかな、外国なら可能なのかな、日本もいつか可能になるのかな。
