金輪際、嫌煙家とは同席しません!
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小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎/著『禁煙ファシズムと戦う』

先日、とある大学生と話す機会があった。わたしは煙草を吸っていた。そこはバーであり、喫煙規制はされていなかったからだ。

なんの話から展開したのか記憶は定かではないが、彼女はいきなり、「お酒は止められないけど、煙草は嫌いなんです」と言った。「へー、どして?」と尋ねると、「私が子どものときに、父が肺がんで死んだからです」と言いながらうつむく。どうやら父を奪った煙草を憎んでいるらしい。

彼女とはその日が初対面だったし、それ以上突っ込むと面倒な話になりそうだと思った。彼女はいささかヒロイズムに浸っているふうだったが、それに水を差すつもりも、さらに盛り立てるつもりもなかったので、「ふーん、そうなんだ」で終了した。

あのときわたしが言わなかったことをここに書いておこうと思う。

お父さんの命を奪った(と彼女が思っている)煙草を憎む気持ちはわからなくはない。それは彼女に同情するという意味ではなく、ひとは理不尽で不条理な経験をすると、なんとかその原因(特に「わかりやすい」もの)を想定し、それを「仮想敵」と見なすことによってルサンチマンを晴らそうとする傾向があるという意味で。

このblogでさんざん書いていることだが、わたしの母は自殺した。母の命を奪ったのは母自身である。では、わたしが憎むべき相手は母なのか? 大学生ちゃんのお父さんが肺がんで亡くなったのが煙草のせいだとしても、彼の意志で喫煙していたのだから、憎むべきは煙草そのものではなくお父さんの喫煙行動ではないのか。ということくらい、大学生ちゃんだって心のどこかでは気づいているんじゃないかしら。

……てなことをつらつら考えた矢先に本書を入手。いちスモーカーとしてまた一つずる賢くなりました。本書から得た知識の最たるものは、喫煙と肺がんの因果関係が証明されていないことと、そこから必然的に導きだされる「受動喫煙(副流煙)による被害」のインチキについて。

わたしだって喫煙が「体にいい」とはさすがに思っていないが、嫌煙を主張するどころかこちらの喫煙を規制しようとまでして「嫌煙権」なるものを振りかざす輩が必ず持ち出すのが、「煙草は肺がんの原因」「周りに迷惑(副流煙で周りのひとをも肺がんの危険にさらす)」という「錦の御旗」だ。

これを言われるとどうもこちらが悪者扱いされているようで肩身が狭いし、吸わない(煙草嫌いな)ひとと同席するときには喫煙を遠慮するのがマナーだと思わされてきたが、この「錦の御旗」がじつはこけおどしにすぎないことがわかったので、今後はもうこちらが全面的に嫌煙家に合わせて喫煙を自粛するという卑屈な態度をとるのはやめることにする。小谷野氏は嫌煙家とは同席せず、喫煙規制を受けるくらいなら会わないと断言し、それでも話す必要性がある場合には電話で話せばいいと述べる。意固地なまでに潔い。

嫌煙は正義の主張でもなんでもない。「人権」ではなく「迷惑」の問題だ。つまり好き嫌いの問題だということ。そこに「健康のため」などというもっともらしい理由を付加して、個人の好き嫌いを権威づけ正当化しようとしているにすぎない(言うまでもないが、喉や気管支が弱くて煙草の煙でむせたり、喘息の発作が出るような場合は、体調の安定をはかるために嫌煙を堂々と主張してしかるべき)。煙草のニオイが嫌なら嫌と言えばいい。嫌いなもの、苦手なものはどうしようもないのだから。

だが、だったらワキガのひとはどうなるのか。ワキガ手術を義務化するのか。「迷惑」の主張が正当なものとしてまかり通るならば、お前のその舌っ足らずなしゃべりが耳障りで迷惑だとか、あんたのそのヤンキーファッションは見ただけで不愉快だとか、あれこれ言いだしたらきりがない。好き嫌いは主観の問題であり、端的に言って差別を生む。

というわけで、煙草に関する好き嫌いの棲み分けをすべく「分煙」対策が行われるようになった。が、本書の著者たちが懸念しているのは、「分煙」がいつの間にか「全面禁煙」に移行しつつあることだ。公共施設や大学などの一部では屋外ですら禁煙区域に指定されている。ほかに人っ子一人いない屋外エリアで、他人の迷惑にならないよう喫煙しているにも関わらず、警備員や係員が「規則なので」の一点張りで喫煙を止めさせようとする。

煙草に悪のイメージをすべて押しつけ、「嫌煙=正義」と僭称し、ヒステリックに煙草を排除しようとする全体主義に筆者たちは立ち向かい、嫌煙運動は目くらましにすぎず、その背後に重要な問題が潜んでいることを指摘する。そのひとつは、ヒトゲノム解読によって明かされた衝撃の事実を隠蔽するために、嫌煙運動が国策的に利用されているということである。

愛煙家には知恵の書のひとつになるだろうし、嫌煙家にも読んでいただいて、ぜひ論理的に反駁していただきたいところである。

ただ一点だけ引っかかることがある。小谷野氏は以前ジェンダーフリー問題に噛みつき、 macska dot org において、サイト管理人のmacska氏と数回にわたって議論したが、macska氏の指摘や主張を論駁しきれず、結局は尻切れとんぼに終わったという経緯の持ち主だ。そのことでまだくすぶっているのか定かではないが、本書のなかで禁煙運動とフェミニズムを同一視する記述が見られる。フェミニズムは決して一枚岩ではなく、むろん全体主義でもない。

全体主義的な社会動向に警鐘を鳴らすのは重要だが、フェミニズムに関して小谷野氏は十把一絡げに扱いすぎ。なので、本書に関しても彼に全幅の信頼を置くつもりは、わたしにはない。生暖かく見守っていく所存である。


禁煙ファシズムと戦う
  • 著:小谷野敦、斎藤貴男、栗原裕一郎
  • 出版社:KKベストセラーズ
  • 定価:893円
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Edit / 2007.02.18 23:27:50 / Comment: 7 / TrackBack: 0 / PageTop↑
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