香山リカ
『知らずに他人を傷つける人たち』
香山リカの著書を手に取ったのはこれが初めて。名前はかなり以前から知ってはいたけれど、どーも食指が動かなかった。が、食わず嫌いはよろしくないだろうと、
「本が好き!」プロジェクトにて献本を申し込んでみた。
ら。
うーん、やっぱり無理に食指を動かそうとしたのが失敗だったらしい。「プロローグ」からして疑問の山。この本はモラル・ハラスメントについて述べたものだが、プロローグで紹介しているのは、今年1月に渋谷区で起こったバラバラ殺人(モルガン・スタンレーに勤める夫を妻が殺害し、切断・遺棄した)事件だ。
記憶に新しいインパクトの強い事件を引き合いに出して、読者をぐいぐい引き込みたい気持ちはわからないではない。しかし、この事件は明らかにDV(ドメスティック・バイオレンス)が元で起きたものだ。本書でもそのことに触れてはいるが、最終的にはモラハラ問題に結びつけている。それでは、夫を殺害することでしか打開できなかった妻の状況を軽視することにつながるのではないか。モラハラの報復で夫を殺すなんて、という読者への印象操作がはたらくのではないか(ちなみに、この事件については信田さよ子が
WEBちくまの連載「加害者とは誰か?」で丁寧に言及している)。
また、
それぞれのハラスメント(セクシュアル・ハラスメント、パワー・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、ドメスティック・ハラスメントなど。*引用者注)には「権力の乱用」という側面が強いのに対して、モラハラは権力の上下関係がないあいだでも生じることがある。(p25)
と香山は述べるが、これは(発話も含めた)行為のパフォーマティビティ(行為遂行性)を無視した記述である。というか、パフォーマティビティの概念を知らないのだろうと推測せざるを得ない。
パフォーマティヴperformative(行為遂行的)とは、コンスタティヴconstative(事実確認的)と対比される言語の役割概念。たとえば、「ここにペンがある」という文は、事実を記述・確認する意味合いを持つが、人物Aがなにか書くものを探しているときに、人物Bが「ここにペンがあるよ」と発話すれば、Aに対して「このペンを使いなさい」という指示の働きを持ち、Aがそのペンを使ってなにかを書きつける行為をうながす。このようにして言語のパフォーマティビティが発揮される。
これは言語のみならず行為についても当然含まれる性質である。何かを発話すること、あるいは発話せずにいること、なにかを行うこと、あるいはなにかを行わないでいることの積み重ねによって、他者との関係が編み上げられていく。
ここまでは当たり前っちゃ当たり前だが、「発話や行為のパフォーマティビティが対人間の権力関係を生成する」と言えば、「なにを大げさな」と反応するひとも出てくることだろう。しかし、これは大げさでもなんでもない。権力とは、ある特定の社会的地位や肩書きをもつ人々だけに帰属するものでも、なんらかの実体を伴うものでもなく、どのような対人関係においても、発話や行為のパフォーマティビティによって、無自覚のうちに日常的に行使したりされたりするものなのである。
したがって、香山の「モラハラは権力の上下関係がないあいだでも生じることがある」という記述は緻密さを欠いている。モラハラのみならず、あらゆるハラスメントは、権力関係を一方が望まない形で生成し、望まない形のまま固定化しようとする一つのパターンなのだ。って、これはわたしが最初に言いだしたわけではなく、セクハラやDV問題に取り組む専門家のあいだや、ジェンダー/セクシュアリティの研究分野ではとっくに言及されていること。
***
わたし自身の経験を述べると、以前交際していたひとと口論になって不穏な空気が流れたりしたときに、「これはDVだ!」と言われてビックリしたことがあった。もちろん、こっちは権力を行使しているつもりはさらさらないし、わたしのほうが相手より声も体も大きいので、むしろ相手への威嚇にならないようつねに細心の注意を払っていた。
そのひとが我慢できなかったのは、そのひとが言ったことに対して、わたしが最終的に黙り込んでしまうことだった。その前にわたしが言ったりやったりしたことに不安や不満や怒りを感じたからこそ、そのひとは異議を唱えたのだけれども、わたしが一言返せば10倍になって返ってくるし、いま思えばそのひとの言うことはもっともなのだが、当時は批判された自分をその場で相対化するスキルも気持ちのゆとりもなかったので、ぐうの音も出なくなり、黙るほかなかったのだ。
わたしは穴があったらすっぽり潜りたい気分だった。そのひとの前から消えてしまいたいほど恥ずかしかった。そのひとを無自覚に苦しめている自分が許せなかった。つき合う資格なんてないと思った。そして、鬼の首を取ったかのようにわたしを糾弾するそのひとが恐かった。
批判されてカッとなって怒鳴ったり肉体的暴力を振るったりすれば明らかにDVだが、沈黙とノーアクションもDVと言われるのはどーなのよ? って感じだが、わたしが何も言わず何もアクションを起こさず、石のように固まってしまうことが、そのひとにとっては恐怖だったのだ。「不安でしかたがないのは私のほうなのに、どうしてそっちが落ち込むの?!」とそのひとは言った。その通りだと思ったが、やはり何も言えなかった。口を開けばすぐ反駁されるから、これ以上そのひとを刺激したくなかった。
当人が意図せざるなにかを遂行してしまう発話や行為のパフォーマティビティって恐ろしい。なにかを言うこと、することのみならず、なにも言わない/しないことも権力を生成してしまうのだ。考えてみれば幼児に対するネグレクトってこれだよな。
「不安にさせてごめんね。あなたの言う通りだね。これからは気をつけるよ。指摘してくれてありがとう」と、どうしてあのとき言えなかったんだろう。別れてからずっとずっと考えつづけている。自己否定感が極限に達するとダルマになってしまう自分の癖を、わたしはいまも扱いかねている。
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あれー? 書評のはずが大きく外れてきちゃった。つっかさー、この本はわたしには表面的で教科書的で優等生的に感じられて、いまいち物足りないんだよな。なーんか、被害者のことも加害者のことも「しょせんは他人事」って引いた目で見ている感じがする。「中立」という名の安全地帯に立ちたがる医者の職業病のせいだろうか。
敬愛するカウンセラー信田さよ子のことは
以前このblogに書いたが、彼女が優れているとわたしが感じるのは、徹底的に主観を貫いて他者の主観とぶつけあうことによって、両者の視点を相対化しようとしている点だ。ほかのひとが彼女の書いたものを読んでどう感じるかは知らないが、少なくともわたしにとっては自己省察の大きなきっかけとなった。
香山の著作で自己省察をうながされるひとがいないとは限らないけれども、わたしにはぬるいと感じる。だって、彼女自身がそれを行っているとは、著書からは読みとれないからだ。「モラハラの被害者対策」だの「加害者にならないための予防策」だのを講じているけれど、そもそも「権力の上下関係がないあいだ」で起こるモラハラに、被害者/加害者の線引きは有効なのか?
DVですら、被害者であることも加害者であることも当事者たちは認めようとしないケースが多いし、被害者性は引き受けやすくても、自己の加害者性を省みることのできるひとはなかなかいない(だからこそDVの問題は可視化されるまで時間がかかった)。加害者としての当事者性を己の身に引き寄せられない者に、「加害者にならないための予防策」が果たして有効かどうか疑わしい。
しかも、トラブルに遭遇すれば、冷静さはどんどん失われる一方だし、トラブルを面倒くさがって回避しようとしたために起こるハラスメント(無視、取り合わないことによって威圧感や孤立感を与える)も決して少なくない。本に書いてある対策をふむふむと読んだって、実践の場でカーッとなってすっぽ抜けてしまったら元も子もない。
ハラスメントの指摘は、加害者にとってはつねに無自覚な部分なのだ。ふだん意識にのぼりにくい分、指摘されてもピンとこないこともあり、なかなか認めにくい。だって本人にしてみれば自分の振る舞いが自然で当たり前だから、当たり前のものをおかしいと言われても「はぁ?」って感じだろうね。「当たり前意識」ってほんと鈍感。
あるいは、指摘されたことが図星だったとしても、それを素直に認めるひとはなかなかいない。認めたら「負け」だと思ってるらしいので、けっして認めようとしない。事実を否認する。そして、再三指摘されても言葉では反論できないから、内的葛藤をついに相手への暴力にシフトしてしまう。それがDVのもっとも多いパターンでしょ。
わたしのケースだって、「こっちこそ言葉の暴力の被害者だ!」と反論することは可能だ。でも、被害者合戦をしてもしかたがないし、そのひとの感じた被害者感覚を否定・否認したくなかった。M・フーコーは「権力とは状況の定義権である」と述べた。もしもわたしが「DVだなんて大げさな」と言ったら、そのひとの感じた不安感、怒り、悲しみ、居心地の悪さを「気のせいだよ」「被害妄想じゃん?」と一蹴してしまうも同然だ。
わたしはハラスメントの画期的な対策や予防策を掌握しているわけではないけれど、発話や行為のパフォーマティビティが生成する権力に、より敏感になることの重要性を、自分の経験を通じて感じるようになった。
これは単なる好みの(香山派か信田派かという)問題で片付けられることではないはず。しかし、香山と信田のテキスト比較検討をするつもりはいまのところないわ。もう香山の本は読みたくなーい。今後の献本申し込みについては、もっと慎重に検討しよう。

知らずに他人を傷つける人たち
- 著:香山リカ
- 出版社:KKベストセラーズ
- 定価:714円
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